ワードの難しさ
こんにちは。
事務局の中村です。
以前こちらの記事を書いたのですが、今回はその続きではなく
個人的に最近少し気になることについて書きたいと思います。
なんせね、文章得意じゃないですので、ゆる~く見て頂けると幸いです。
タイトルに「ワード」とありますが、いわば「括り」みたいなものに最近難しさを感じています。
私自身以前の記事にもありました通り、アセクシャルを自認しているのですが、
そのワードを知ったときはすごく安心しました。
自分と似たような考えや特徴を持った方がこの世に一定数いるんだと思えただけで
気持ちが楽になったんですよね。
あとはそれを知ることで「言葉」という武器を身につけれるような気がしました。
持っている特徴や性格に対して説明できるもの、該当する言葉がなくて自分は一体
なんなのだろうと思っていた時期でもあったので、「言葉になる」ということが
純粋にほっとしました。
ただ、これは自分だけかもしれないのですがワードとか括りって、こだわりすぎると怖いものだなと思います。
自分が実際になったことなんですが、アセクシャルと周りにきちんと言うように
なってから、「恋愛感情かな、これ」ということがあっても自らそれを否定する
ようになったときがありました。
気持ち的にアセクシャルであるからには恋愛しては”いけない”と考えていたように思います。
でも、そういうためにワードは存在しているのではないと思います。
だからこそ、意識的に自分自身の「性」とか感じることをそのまま認めるようにしたいし、してほしいなと思っています。
とかいいつつ、自分もいまだにできていないことが多いのですが笑
ワードが感情や生き方を縛る檻のような場所でなく、ある程度自由に行き来ができる一つの宿り木みたいな場所であってくれることを願っています。
それではまた次の記事で~。